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織田信長の誕生日 [歴史]

 5月12日は織田信長の誕生日と言われている。
天正10年5月12日には盛大な生誕祭を開催したそうだ。

 信長は日付にこだわっていたそうだ。
安土城に入城したのも自分の誕生日に合わせている。
比叡山延暦寺を焼き討ちしたのも、石山本願寺に攻撃を仕掛けられた9月12日だ。
だが、こういう事実はあまり知られていない。

 一番大きな理由は、日付の表記の仕方にあると思う。
これらの日付は、すべて旧暦のものなのである。
西暦を導入した1873年より前は、すべて西暦に換算してあるのだ。
「今日は何の日」というアプリやサイトがある。
その日付にどんな事件があったり、誰の誕生日や忌日だったりがわかる。
これらもすべて西暦の日付になっているのだ。

 換算してあった方がピンと来る場合もある。
例えば、長篠合戦は天正3年5月21日。
西暦では1575年6月29日になる。
鉄砲を活用するために梅雨明けを待ったというのは、西暦の方がピンと来る。
だがこれは、注釈に西暦の日付を載せれば済むことだ。
むしろデメリットの方が多い。

 坂本龍馬の誕生日は1836年1月3日、忌日は1867年12月10日になっている。
これでは龍馬が自分の誕生日に暗殺されたというのがわからない。

 もっと極端は例は武田信玄だ。
信玄は元亀3年12月22日の三方原の戦いで徳川家康を破った。
だがその後発病し、翌元亀4年4月12日に信州駒場で没した。

 これを西暦で表すとどうなるか。
1573年1月25日に三方原の戦い、同年5月13日死去なのだ。
本来年明けを挟んでいるのに、同年の出来事になってしまうのだ。
感覚が狂ってしまうと感じるのは私だけではあるまい。

 歴史上、日付にこだわるということはよくある。
微妙な年代の違いには注釈が必要ではある。
だが基本は旧暦の日付もそのままで行ってほしい。
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