SSブログ

室町時代の地頭 [歴史]

 「どうでしょうClassic」を見ていて、ふと思った。
この回は「試験に出るどうでしょう 日本史」。
学習した内容を元にミスターと安田顕がテストを受ける。
いずれか一方でも10問正解できなかったら四国八十八箇所を巡礼するというものだった。
安田顕は四問目、ミスターは九問目で間違え、全員の四国行きが決定した。

 ミスターが間違えた問題はこれ。

1338年、足利尊氏が光明天皇より征夷大将軍に任ぜられ、室町幕府を開いた際に守護・地頭を置いた。
その結果、守護が各地で力を持つようになり、やがて守護大名と呼ばれる強大な勢力になった。

これに対して「〇」としたが、正解は「×」。
足利尊氏が設置したのは守護であり、守護・地頭を設置したのは源賴朝ということだった。

 鎌倉幕府は武士に土地の所有権を保証するという形で成立した。
この土地の保証が「地頭に任命する」ということだ。
一方「守護」は諸国の軍事・警察を担当した。
管轄するエリアで言えば守護の方が広域だ。
だが守護と地頭は職掌が違うので、両者の間に上下関係はない。
守護が県警本部長で地頭が市長といったところか。

 それが室町幕府では、守護に一国の政治的権限を与えた。
その結果地頭は守護の被官となり、「国人」となっていった。
これによって地頭は自然消滅する形となった。

 だがこれは中期以降の話であり、尊氏が幕府を開いた時点では地頭は存在した。
中学校の教科書にも載っている室町幕府職制表にも、地頭は明記してある。

 もっとも、このテストの出題範囲はあくまでも「試験に出るどうでしょう」だ。
だから出題内容もこの中からということになる。
たとえ史実に反していても、この内容がすべてということになるのだろう。

 ちなみに「試験に出る石川・富山」では富樫政親を「加賀守」と言っていた。
これは「加賀守護」の間違いと思われる。
富樫氏の官位は加賀介であって加賀守ではないし、出題に使うなら加賀守護だろう。
(鈴井貴之は「かがもり」と読んでいたが…。)
nice!(4)  コメント(0) 

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

新iPhonemacOS High Sierra ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。