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2018年 [雑感]

 2018年、平成30年の年が明けた。
18年の出来事はあまりなかった。
1918年の米騒動・原敬内閣成立と718年の養老律令制定ぐらいだ。

 干支でいうと「戊戌」。
高野長英が「戊戌夢物語」を著した天保9(1838)年と同じだ。

 平成は31年までになった。
「応永」の35年を上回ることはできなかった。

 明治になって一世一元が定められるまでは、結構頻繁に改元していた。
だから35年も続いたというのは結構異例だ。
これには政治的な思惑が関係している。

 時の権力者・足利義満は、明徳からの改元に際し「洪徳」を推した。
義満が憧れていた明の洪武帝にあやかったものだ。
だが朝廷をこれを拒否し、「応永」とした。
理由は二つ。
一つ目は、明徳→洪徳となり、同じ字を使った時はよくないことが起きている。
二つ目は、「洪」は洪水につながる。
このことに腹を立てた義満が、自分の生存中は改元を認めなかった。

 義満は応永15年に死去し、実権は息子・義持に移った。
普通ならここで改元解禁となるはずだった。

 義満・義持の親子仲はかなり悪かった。
義満に煮え湯を飲ませた「応永」は、義持にとっては実に愉快だったに違いない。
結局義持死去まで改元されることはなかった。
足利親子の確執が生んだ長期年号だった訳だ。

 義持の死によってようやく改元が実現した。
新しい年号は「正長」。
改元早々大事件が起きた。
「日本開白以来、土民の蜂起之初めなり。」とされた正長の土一揆だ。
後花園天皇の即位もあり、正長はわずか2年で永享に改元する。
最長35年の次がわずか2年というのも極端な話だ。
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