SSブログ

本能寺の変 [歴史]

 今度の「軍師官兵衛」はいよいよ「本能寺の変」。
週刊誌に載っていた「本能寺の変」の真相。
根本にあるのは信長の「唐入り」に対する不安感。
天下が統一されれば、もう戦いは終わりだと思っていた。
それがまだ続くのかという絶望感が蔓延していたという。

 だが、本当にそうか?
戦国武将の感覚を履き違えていないか?
これは秀吉の唐入りにも言えることだが、武将にとって「戦争が終わる」ということは、出世の道が閉ざされるということだ。
信長軍は兵農分離しているから、終戦=失業を意味する。
だから戦いが終わることへの不安はあっても、続くことへの不安はあり得ない。
秀吉の唐入りは失敗したので、武将はみんな反対だったように言っているが、実際には大乗り気だった可能性が高い。

 そして黒幕は秀吉という話に。
確かに、一番得をしたのは信長の後継者となって天下を統一した秀吉だ。
当然一番怪しい。
中国大返しができたのも、事前の情報があればこそというのも納得できる。

 しかし、秀吉が信長の後継者になれたのは、信長だけでなく、信忠も死に、尚且つ信忠の子・三法師は生き残るというかなり奇跡的な状況があったからではなかったか。
しかも、妙覚寺にいた信忠は本能寺に向かったが、諦めて二条御所に立て籠もって死んだ。
つまり、死んだのは信忠の判断ミスで、その気になれば脱出することができたのだ。
だから、何者かが信長に取って代わろうとしたという考え方はあてはまらないと思う。

 ま、そう簡単に答えは出ないから、未だに謎なのだが。
イタコにでも聞ければいいのだけど。
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

dマガジンキャリアの人口カバー率 ブログトップ