討ち入り [歴史]
12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日だ。
発端は前年3月14日の浅野内匠頭殿中刃傷事件。
赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城内で吉良上野介義央に斬りつけ、即日切腹・改易となった事件だ。
当時の法や判例に照らし合わせても、殿中で刃傷に及んだ浅野に対するこの判決は妥当であり、抜刀しなかった吉良に何のお咎めもなかったのも妥当だ。
例え両者の間にどのような確執があったとしても関係はない。
「両者の間に・・・」と言ったが、ドラマで扱われているような、吉良が浅野に嫌がらせをしたという記録はない。
事実であれば最も記載すべき討ち入りの声明文にない。
また、状況を考えてもあり得ない。
浅野がミスをすれば、指導的立場にある吉良も責任を問われるのは当然だからだ。
確執があり得ない以上、原因を考えても無意味だろう。
賄賂説、塩田説等いろいろあるのだが。
また記録を見ると、浅野は吉良に背後から襲いかかっていたとのこと。
一方的な襲撃であって喧嘩ではない。
喧嘩両成敗が妥当だったとするのは、駐車場に駐めた車の中にいたらそこに車で突っ込まれて、50-50だと言われるよううなものだ。
吉良は一方的な被害者なのだ。
判決が不服ならば、抗議する相手は幕府でなければならない。
つまりこの事件は、判決が重いことに不満を持った加害者の関係者が抗議のために被害者を襲ったという、実にとんでもない事件なのだ。
にもかかわらず被害者(吉良)が悪者とされ、襲撃に加わらなかった他の関係者も「不忠者」と蔑まれるという、とんでもない結末となっている。
一度どこかの局で、吉良側から見た赤穂事件(一連の事件の歴史的名称。
「忠臣蔵」はこの事件を題材としたフィクションの名称。)をドラマ化してほしいものだ。
かつて吉良町で仕事をしたことがあるからという訳ではないが。
発端は前年3月14日の浅野内匠頭殿中刃傷事件。
赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城内で吉良上野介義央に斬りつけ、即日切腹・改易となった事件だ。
当時の法や判例に照らし合わせても、殿中で刃傷に及んだ浅野に対するこの判決は妥当であり、抜刀しなかった吉良に何のお咎めもなかったのも妥当だ。
例え両者の間にどのような確執があったとしても関係はない。
「両者の間に・・・」と言ったが、ドラマで扱われているような、吉良が浅野に嫌がらせをしたという記録はない。
事実であれば最も記載すべき討ち入りの声明文にない。
また、状況を考えてもあり得ない。
浅野がミスをすれば、指導的立場にある吉良も責任を問われるのは当然だからだ。
確執があり得ない以上、原因を考えても無意味だろう。
賄賂説、塩田説等いろいろあるのだが。
また記録を見ると、浅野は吉良に背後から襲いかかっていたとのこと。
一方的な襲撃であって喧嘩ではない。
喧嘩両成敗が妥当だったとするのは、駐車場に駐めた車の中にいたらそこに車で突っ込まれて、50-50だと言われるよううなものだ。
吉良は一方的な被害者なのだ。
判決が不服ならば、抗議する相手は幕府でなければならない。
つまりこの事件は、判決が重いことに不満を持った加害者の関係者が抗議のために被害者を襲ったという、実にとんでもない事件なのだ。
にもかかわらず被害者(吉良)が悪者とされ、襲撃に加わらなかった他の関係者も「不忠者」と蔑まれるという、とんでもない結末となっている。
一度どこかの局で、吉良側から見た赤穂事件(一連の事件の歴史的名称。
「忠臣蔵」はこの事件を題材としたフィクションの名称。)をドラマ化してほしいものだ。
かつて吉良町で仕事をしたことがあるからという訳ではないが。
2009-12-15 03:24
nice!(5)
コメント(2)
トラックバック(0)
へー知りませんでした。テレビの印象が強いですし、どうしても美談になるのでしょうか。勉強になりました!
by まろまろまね (2009-12-15 08:15)
先日はコメントありがとうございました~
by かあふ (2009-12-15 21:04)